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今月の聖語「仏と申すは正直を本(もと)とす」

2021年10月20日


◆本行寺のご紹介◆

本行寺は仏教の中で日蓮宗という宗派のお寺で、インドで仏教を説いたお釈迦様と日本で仏教を弘めた日蓮聖人を宗祖として信仰しています。日蓮聖人は鎌倉時代の僧侶で、乱世の時代に仏の教えによって人々を救おうとされ、現代でもその説かれた教えが受け継がれています。

宗教といえば、仏教のほかにも世界にはいろいろなものがあります。私たちが住む日本でも神道やキリスト教などをはじめ多くの宗教が信じられ、その中に仏教も含まれています。

神道は日本の神様についての教え、キリスト教はイエス・キリストが説いた教えです。では仏教はというと、他の宗教と比べ仏教の特徴としては、仏教は「仏が説いた教え」であり「仏になるための教え」でもあるとよく言われています。

ここでいう仏とは私たちが思い描く「神様」とは少し違う存在です。仏教では私たちの住む世界は苦しみの多い世界だと説かれています。仏とは真理を悟り煩悩や欲望から解きはなたれることで、その苦しみから離れた者のことであると説かれています。

ですので、仏教には仏になる方法=苦しみや悩みから救われる方法が説かれている宗教だとも言えるのです。

◆仏と申すは正直を本(もと)とす◆

先述した日蓮聖人は仏という存在について様々に説いた中の一つに、「仏と申すは正直を本(もと)とす」とお言葉を残しています。これは「仏というものは正直を基本としている」という意味で、ここでいう正直とは善い考えや物事に対して素直で揺るがないということです。

私たちが正直に生きるとはどういうことでしょうか。昔から「正直の頭に神宿る」という言葉があります。しかし一方で「正直者が馬鹿をみる」という言葉もよく聞く言葉です。こうして正直に生きることは素晴らしいと説く言葉もそれも否定する言葉も存在しているのは私たちが正直に生きて行くことがどれほど難しいかの表れでもあると思います。

お寺では亡くなった方に戒名をお付けする参考にその方の人となりをお聞きしています。ご長寿の方ですとご家族の方からご本人が戦争などで大変な苦労をされたお話などをよくお聞きいたします。明日さえ不安な経験をされたでしょう、経験がない私には計り知れないものだと思います。それでも、その方が最後まで心穏やかに人にやさしく心遣いを欠かさない人だったとお聞きし、さらに後のご家族が一生懸命に悼み、供養をお祈りされているお姿を見ると、それがどれほど尊く大きなことか、こういった方が仏らしい方なのだろうと納得するときがあります。

人はすべてに倫理的になるのは難しいものです。どうしても目先の自分の利益を考えてしまうと利己的になりやすくなってしまいます。それ以前に何が正しく、何に対して心を向けたらよいのかそれすら実は曖昧なのかもしれません。まずは自分やその周りにとってなにが善いことなのかそこから考えていくことも正直に生きて行く第一歩なのかもしれません。

 

◆総括◆

仏の教えを知るということはそれらを学んでいくことでもあります。どうか宗教・仏教とは、ただ仏というおおきな存在を信じる一部の人や亡くなってお葬儀をする方だけのものとは思わず、今を生きる私たち皆の生活をよりよくするものだと思って身近に感じていただきたいと思っております。